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東京家庭裁判所 昭和41年(家)6038号 審判 1967年10月12日

申立人 佐野悦子(仮名)

参加人 山野辺きみ(仮名) 外一七名

主文

被相続人亡小田友三郎の所有した茨城県新治郡○○村大字○○○字○○○二五九番所在の墳墓および墳墓地二六歩(八五、九五平方米)(所有名義人亡小田のぶ)の権利の承継者を申立人と定め、同亡小田友三郎の所有した系譜、祭具の権利の承継者を参加人前川照延と定める。

参加人ら全員は、申立人に対し、第一項の墳墓地につき、所有権移転登記手続をせよ。

理由

一、申立人は、

「茨城県新治郡○○村大字○○○字○○○乙二五九番に所在する亡小田のぶ所有名義の墳墓地二六歩の権利の承継者として申立人を指定されたい」

との審判を申し立て、その事由として述べるところの要旨は、

1  申立人は、昭和三二年一月四日に死亡した被相続人亡小田友三郎の養女であり、相続権者として、右小田友三郎の遺産を一切承継した。右小田友三郎は、昭和七年二月一二日に前戸主小田優造(現在山野辺優造、小田友三郎の兄小田鶴一郎後に山野辺万吉-の長男)の隠居により、小田家の家督を相続したものであり、その際小田家の財産はもとより、系譜、祭具および墳墓の所有権をも取得したのであり、したがつて、右小田友三郎の死亡に伴い、小田家の墳墓も、当然申立人が承継したものと考え、現に前記墳墓地を管理し、同地に所在する墳墓に右小田友三郎も埋葬したのである。

2  ところが、右墳墓地の所有名義は、如何なる理由によるのか、不明であるが、右小田友三郎の父である亡小田清二(明治二八年四月二九日隠居昭和七年一一月一九日死亡)の姉亡小田のぶ(明治三九年四月二六日死亡)となつているのである。

3  しかしながら、実際には右墳墓地には、小田家代々の者が埋葬されており、代々戸主であつた者がこれを承継所有し、管理して右小田友三郎に至つたのである。よつて右小田友三郎の相続人である申立人を正式に右墳墓の権利の承継者として指定されたい。

というにある。

二、さて、本件において申立人は、相手方を指定しないまま審判の申立をしているのであるが、本件の如き祭祀財産の権利承継者指定審判事件の当事者は誰かということが問題になる。当裁判所は、祭祀財産は相続の対象とならないとはいえ、被相続人の所有に属していたこと、並びに祭祀財産の権利承継者の指定審判が社会的慣行からみて何人を権利承継者とするのが相当であるかを判断することにあることを考え合わせると、当事者は各共同相続人および当該祭祀財産の権利承継につき法律上の利害関係をもつ親族またはこれに準ずる者と解すべきであると思料する。

かかる見解によつて、本件をみるに、申立人が求めている墳墓の権利承継者の指定は、被相続人亡小田友三郎の所有した墳墓(墳墓地の登記名義人は亡小田のぶであるが、実際は亡小田友三郎の所有に属したものであるとして)の権利承継者の指定なのか、それとも被相続人亡小田のぶの所有した墳墓(登記名義どおり亡小田のぶの所有に属するものとして)の権利承継者の指定なのかが、必ずしも明らかでない。

もつとも、後者であるとすると、果たして権利承継者の指定審判が可能であるかどうか疑問があるが、亡小田のぶは明治一六年九月一〇日に分家し、戸主として明治三九年四月二六日に家督相続人なくして死亡し、その後においても家督相続人が選定されていないのであるから、民法附則第二五条第二項により、新法施行後に旧法によれば家督相続人を選定しなければならない場合として、その相続に関しては新法を適用することとなり、したがつて遺産があれば、新法によつて相続が行われることになるところから、墳墓等の祭祀財産の権利承継についても新法によるものと解せられ、祭祀承継者の指定もなく、慣習も明らかでないとすれば、この場合にも家庭裁判所が祭祀財産の権利承継者を定めるべきであると思料する。

前者であるとすれば申立人は被相続人亡小田友三郎の相続人であり、また後者であるとしても申立人は被相続人亡小田のぶの弟亡小田清二の子亡小田友三郎の子として相続人であるから、いずれにしても申立人は申立権を有するのであつて、本件申立は適法であり、しかも本件の如き場合においては、誰を相手方にすべきか、必ずしも明らかでないので、相手方を指定しないで申し立てたことも差し支えないと解せられる。

本件の墳墓等の権利承継者の指定が、右のいずれの場合に該当するかは、当裁判所が後述の如く実質的に審理して決するほかないのであるが、当裁判所は審理を進めるに当り、一応後者であるとすれば、亡小田のぶの相続人である弟亡小田清二の相続人全員を当事者とすべきであり、また前者であるとしても、亡小田清二の相続人は法律上の利害関係を有すると考えられるので、これら亡小田のぶの相続人全員を職権をもつて本件に参加させることにした次第である。

三、審案するに、本件記録添付の各戸籍謄本、本件墳墓地の登記簿謄本、家庭裁判所調査官寺戸由紀子の調査報告書、参加人前川照延、同山野辺優造および同山野辺慎吾の右寺戸由紀子調査官の照会に対する各回答書並びに申立人および参加人前川照延に対する各審問の結果によれば、次の事実が認められる。

1  申立人は、佐野栄三亡小田まさ(昭和三九年一月三〇日死亡)間の長女で、母まさが父栄三と離婚後、亡小田清二(昭和七年一一月一九日死亡)と亡小田はる(昭和七年一月二一日死亡)間の二男亡小田友三郎(昭和三二年一月四日死亡)と昭和二八年三月一〇日再婚したのに伴い、昭和二九年四月五日右亡小田友三郎と養子縁組を結びその養女となり、昭和四〇年五月一〇日佐野誠と婚姻したものであり、右亡小田友三郎の相続人であり、また右亡小田清二の姉亡小田のぶ(明治三九年四月二六日死亡)の相続人であること。

2  参加人山野辺きみは、右亡小田清二と亡小田はる間の長男亡山野辺万吉(昭和二九年五月二四日死亡元小田鶴一郎、後に山野辺たつの養子となり、山野辺万吉となる。)と大正九年一〇月二五日婚姻し、その後妻であつたもの、同山野辺優造は、右亡山野辺万吉とその先妻亡山野辺まさ(大正七年一一月一日死亡)との間の長男であり、同山野辺慎吾は右亡山野辺万吉と亡山野辺まさとの間の五男で、昭和一六年一〇月二二日兄である亡山野辺雄吉(右亡山野辺万吉と亡山野辺まさとの間の二男、昭和二〇年一二月三〇日死亡)およびその妻山野辺咲子と養子縁組を結び、両名の養子となつた者であり、同山野辺清隆は、右亡山野辺雄吉と右山野辺咲子との間の長男であり、同斉藤はる江は、右亡山野辺雄吉と右山野辺咲子との長女で、昭和三四年一一月二一日斉藤清と婚姻した者であり、同神山みつは右亡山野辺雄吉と右山野辺咲子との間の三女で、昭和四一年二月七日神山政幸と婚姻した者であり、同山野辺仁志は右亡山野辺万吉とその後妻山野辺きみ間の七男であり、同山野辺則義は右亡山野辺万吉と山野辺きみ間の六男であり、同松本寿恵は右亡山野辺万吉と山野辺きみ間の長女で、昭和二〇年六月二〇日松本治市と婚姻した者であり、同朝田八重は右亡山野辺万吉と山野辺きみ間の二女で昭和二八年八月一七日朝田進と婚姻した者であり、以上各参加人は、右亡山野辺万吉の相続人であり、また右亡小田清二の姉亡小田のぶの相続人であること。

3  参加人相川すみは、亡根本仙造(大正一一年六月六日死亡)と亡根本きち(右亡小田清二と右亡小田はるとの間の長女-戸籍上は二女となつているが誤り-で明治三五年一二月二二日右亡根本仙造と婚姻し、昭和二二年七月二二日死亡した)との間の長女で大正一三年一二月五日相川松吉と婚姻した者であり、同上野てるは、右亡根本仙造と右亡根本きちとの間の二女であり、昭和一〇年一月一七日上野晴一郎と婚姻した者であり、同根本たまは、右亡根本仙造と右亡根本きちとの間の三女(戸籍上長女と記載されているのは誤りである)であり、昭和一〇年六月一二日亡根本福蔵(もと安田福蔵(昭和三七年六月二三日死亡)と婿養子縁組婚姻した者であり、同根本安富は、上野てるの非嫡出子であり、昭和二五年四月二七日右上野てるの妹である同根本たまとその夫右亡根本福蔵と養子縁組を結び養子となつた者であり、以上各参加人は右亡根本きちの相続人であり、また右亡小田清二の姉亡小田のぶの相続人であること。

4  参加人前川盛義は、亡前川勝三(昭和三〇年一月九日死亡)と亡前川えい(右亡小田清二と右亡小田はるとの間の二女で、明治三七年一月二二日右亡前川勝三と婚姻し、昭和三七年一月二六日死亡した)との間の長男であり、同前川実は右亡前川勝三と右亡前川えいとの間の二男であり、同前川照延は右亡前川勝三と右亡前川えいとの間の三男であり、以上各参加人は右亡前川えいの相続人であり、また右亡小田清二の姉亡小田のぶの相続人であること。

5  参加人小山田誠一は、亡小山田英太郎(昭和一七年五月一四日死亡)と亡小山田つや(右亡小田清二と右亡小田はるとの間の三女で、明治四一年九月七日右亡小山田英太郎一と婚姻し、明治四五年七月一日右亡小山田英太郎と協議離婚し、昭和七年四月一六日再び右亡小山田英太郎と婚姻し、昭和一一年七月一六日死亡した)との間の長男であり、したがつて右亡小山田つやの相続人であり、また右亡小田清二の姉亡小田のぶの相続人であること。

6  小田家は四〇代にわたる由緒ある名家で、右亡小田清二の父亡小田常吉は幕末において石岡藩の城代家老を勤めたということであり、右亡小田清二は明治維新後廻船問屋等をして、一時は商売が繁昌したものの、やがて商売に失敗し多額の負債を生じたため、明治二八年四月二九日隠居し、同年同月同日長男の亡小田鶴一郎(後に山野辺たつの養子となり、山野辺万吉となる)が家督を相続し、次いで同人も明治四二年六月四日隠居し、同人の長男小田優造(後に山野辺優造)が同年同月同日家督を相続し、更に同人も昭和六年一一月六日叔父亡小田友三郎を家督相続人に指定した後、昭和七年一月三〇日付の水戸地方裁判所の許可の裁判をえて、同年二月一二日隠居し、同年同月同日右亡小田友三郎が家督を相続したものであること。

7  本件墳墓地には過去四〇代にわたる小田家先祖の墓石があり、前記亡小田常吉、その妻亡小田りう、亡小田清二、その妻小田はる、その姉亡小田のぶ、亡小田友三郎、その妻小田まさ等も埋葬されていること。

8  本件墳墓地については、如何なる理由によるか不明であるが、明治三九年五月五日に前記亡小田のぶの所有権保存登記がなされており、右亡小田のぶは右日時以前の同年四月二六日に死亡していること。

9  亡小田清二が明治二八年四月二九日隠居してからは、その後の小田家の家督は前記の如く代々の戸主によつて承継されたものの、これらの戸主はすべて本籍地に住むことなく、本件墳墓地は、系譜および祭具とともに右亡小田清二が昭和七年一一月一九日死亡する迄これを管理し、右亡小田清二が死亡した後は、近隣の亡前川勝三の許に嫁した右亡小田清二の二女である亡前川えいの夫亡前川勝三が右亡前川清二の生前の依頼により昭和三〇年一月九日死亡するまで本件墳墓地に隣接する約八畝の畑地(もと小田優造名義、現在小田優造の相続人である亡小田友三郎の更に相続人である申立人が相続登記をして、申立人名義となつている)を無償で耕作しうることを条件に本件墳墓地を系譜および祭具とともに管理し、右前川勝三死亡後はその三男である参加人前川照延が引続き、これを管理していたのであるが、右畑地を申立人が相続し、その旨の登記を了し、引渡を求められたところから、右畑地を耕作する収益なくしては、本件墳墓地を管理することが困難であり、また右畑地を通らずには、本件墳墓地に行けないこともあつて、右畑地を返還する以上、本件墳墓地も引渡すほかないものと考え本件墳墓地を昭和四一年六月頃右畑地とともに申立人に引渡していること。

10  本件墳墓、系譜および祭具の権利の承継者に関しては、被相続人亡小田友三郎がとくに祖先の祭祀の主宰者を指定したこともなく、また祭祀の主宰者を定める慣習も明らかでないこと。

四、以上認定の事実によれば、本件墳墓地は、登記簿上亡小田のぶの所有名義となつているが、真実は小田家代々の墳墓地であり、系譜および祭具とともに代々の戸主によつて承継所有されたものであり、ただ右亡小田清二の隠居後の戸主が本籍地を離れて生活したため、本件墳墓地、系譜および祭具の管理を亡小田清二および右亡前川勝三並びに参加人前川照延が担当してきたものとみるべきであり、参加人前川照延が昭和七年二月一二日隠居し、申立人の父小田友三郎が同年同月同日その家督を相続したのであるから、本件墳墓地は、系譜および祭具とともに亡小田友三郎が昭和三二年一月四日死亡する迄、これを所有していたものと認められる。したがつて、本件における墳墓、系譜、祭具の権利の承継者の指定は、被相続人亡小田のぶの墳墓、系譜、祭具の権利の承継者の指定としてではなく、被相続人亡小田友三郎の墳墓、系譜、祭具の権利の承継者の指定としてこれを行なうべきであるといわなければならない。

五、そこで、本件において被相続人亡小田友三郎の所有した墳墓、系譜および祭具の権利の承継者として誰を指定するのが相当であるかを検討するに、家庭裁判所調査官寺戸由紀子の調査報告書並びに申立人および参加人前川照延に対する審問の結果によると、被相続人亡小田友三郎の唯一の相続人であり、父母である亡小田友三郎および亡小田まさが本件墳墓地に埋葬されておるところから、今後本件墳墓地を所有管理していく意向をもつている申立人と、昭和三〇年一月九日以来、昭和四一年六月頃申立人に引渡すまで本件墳墓地を管理していた参加人前川照延以外に承継者として適当なものは見受けられず、しかも、前記認定事実によれば、本件墳墓地に隣接する申立人所有の約八畝の畑地を通らずには、本件墳墓地に行けないことや、本件墳墓地を管理維持するためには相当の費用を要し、従前参加人前川照延は、右畑地を無償耕作できたので、本件墳墓地を管理維持しえたのであるが、申立人がこれを所有している以上、同参加人が本件墳墓地を前川家の墓地(参加人前川盛義、同前川実も本籍地を離れ、末弟である参加人前川照延が管理している)のほかに自らの費用で管理維持することもできないところから、既に管理を断念してこれを申立人に引渡して返還したものであつて、これらの点その他一切の事情を考慮すると、本件墳墓および墳墓地に関する被相続人亡小田友三郎の所有権承継者としては、申立人を指定するのが妥当であると解せられる。しかしながら、申立人および参加人前川照延に対する審問の結果によれば、参加人前川照延は長い期間本件墳墓地のほか、小田家の系譜および祭具(仏壇および位牌)を管理しており、今後引続いてその管理をすることを切望しており、しかも申立人も、参加人前川照延が本件墳墓地を引渡して返還してくれた以上、小田家の系譜および祭具まで返還することを要求せずこれを同参加人が所有権の承継者となつて管理を続けることには異議はないことを表明しているのであるから、系譜および祭具の所有権の承継者としては参加人小田照延を指定することが相当である。

ただかくの加く系譜、祭具および墳墓の所有権の承継者を二人に分けて指定することは許されないのではないかとの疑問が存する。しかし当裁判所は、一般に系譜、祭具および墳墓の所有権の承継者は一人に限られるべきであろうが、本件の如き特別の事情があれば、祭祀財産を分けて、別箇にその所有権の承継者を指定することも差し支えないと解する。

よつて、本件においては、墳墓および墳墓地の所有権の承継者を申立人に、系譜および祭具の所有権の承継者を参加人前川照延にそれぞれ指定することとする。

ところで、前記認定の如く、本件墳墓地は、登記簿上亡小田のぶの所有名義となつているのであるが、この保存登記がなされたときには既に右小田のぶは死亡しているのみならず、本件墳墓地は真実は、小田家代々の戸主の所有に属したのであり、最後は被相続人亡小田友三郎が所有したものであり、その所有権の承継者として申立人が指定せられたのであるから、本件について法律上利害関係ある者として参加を命ぜられ、右亡小田のぶの相続人である弟亡小田清二の相続人である各参加人は、本件墳墓地について申立人のため所有権移転登記手続をすべき義務があるといわなければならない。もつとも、家事審判規則第一〇三条により相続の場合における系譜、祭具、および墳墓の所有権の承継者の指定に関する審判に準用される同規則第五八条は、家庭裁判所は、右所有権の承継者を指定する審判においては、系譜、祭具または墳墓の引渡を命ずることができることのみを規定しているので、本件審判においては、本件墳墓地の所有権移転登記を命ずることはできないのであつて、申立人は別箇に訴訟を提起しなければならないのではないかとの疑問が存する。しかしながら、右規則は、一般に墳墓は個人の所有財産となつている場合が稀有であるため、登記義務の履行について触れなかつたに過ぎないものであり、右規則の「引渡」という文言はただ単に現物の占有を移転するのみならず、登記名義をも移転させることをも含むものと解する余地もあるので、当裁判所は同規則の類推適用により本件の墳墓および墳墓地の所有権の承継者を申立人と指定する審判において、とくに各参加人に対して申立人のため本件墳墓地について所有権移転登記をなすべきことを命ずるものとする。

よつて主文のとおり審判する次第である。

(家事審判官 沼辺愛一)

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